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春待つ日(アヤネのとある1日)
投稿日 | : 2016/09/08(Thu) 22:48 |
投稿者 | : ましろ |
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カタカタと風が窓を揺らす。
久しぶりの休みを自室で過ごしていたアヤネは書き物の手を止めると立ち上がった。
暖炉にかけたやかんを慎重に取り上げ、ティーポットに湯をそそぐ。
ペルミ候ルフェリットから贈られたこのティーセットは、白磁に鮮やかな薔薇の花が描かれた物でアヤネのお気に入りだった。
この北国において、白磁のティーセットも紅茶も高級品・・・そう簡単に買えるものではない。だから淹れるのは試行錯誤の上、作った薬草園で育てた地球界とこのアトラタン大陸のハーブを混ぜた香草茶だ。
リンゴの香りがするカモミールやミントに似たハーブの香りが立ち上る。
金色のお茶に一匙の蜂蜜を混ぜて一口。じんわり広がる甘味と熱が疲れをほぐしていく。
「ふう・・・ホントいろいろあったわねぇ」
思わず、独り言が口をつく。
今から半年ほど前のあの日・・・気が付くと働いていた病院の建物ごとこの世界に居て。
誰も・・・患者すら消えた病院の正面口から出るとそこは真っ白な極寒の地。
幸いなことにその時は晴れていたので、たどり着いた村で怪我人を治療して、信頼を得たアヤネはその村で生活を始めた。
仲間とはぐれ、道に迷った異国の治療師『アヤネ』・・・・そう名乗って。
異国どころか異世界から来た・・・それに触れてはいけないことを、アヤネは思いだしていた。
「アトラタン大陸」「混沌災害」「魔法師」「聖印」・・・・その言葉には覚えがあった。夢だと思っていたが、この世界には以前来たことがある。
おぼろげな記憶を頼りに、慣れない生活を始めて数日後、1人の人物と出会った。
最初は少女だと勘違いしていた。
赤紫で艶々の長い髪に白い肌、長いまつげと艶やかなピンクの唇。
あでやかな笑みと優美なしぐさ。どこから見ても美少女にしか見えない、けれど強さを秘めたペルミ候ルフェリット・・・・この領地を治める、領主で君主の少年。
『貴女の噂が街まで届いたんです。巨大な混沌が収縮したのは魔法師が感知していましたから、すぐにわかりましたよ』
そう、笑って。
そして問われた。
『貴女はいつかご自分の世界に帰るんでしょうね。でも、それまでの間、この国にいる間に何をしたいのですか?』
問われて即座に答えた。自分に出来るのは、したいのは、人の命を救う事だと。
それはどこに居ても変わらない、アヤネの信念。一度は違う道へ進みかけたが、戻って来た彼女の願い。
昔・・・桜が満開の季節に、なすすべもなく見送った夫を思い出す。夫を亡くして数年は薬の匂い、機械のアラーム音、病院の風景すべてがダメで。結婚前から働いていた病院も辞めるしかなく。
親友に紹介された調理の仕事を始めた。
でも、長い月日が過ぎたある日。
目の前で大怪我をした子どもがいて。とっさに身体が動いた。
応急処置、慌てる大人たちへの指示、駆けつけた救急隊への説明。
その時は救急車のサイレンも病院の匂いも気にならず。
助けた子どもがアヤネの処置のおかげで後遺症もなく助かったと聞いた時、アヤネは人目もはばからず涙した。
・・・・それがきっかけで、医療の道へ戻ることになる。
『この国で何をして何を残すか・・・僕は貴女を見ていたい。そして、手助けをしたいんです。僕と一緒にペルミの街へいらっしゃいませんか?』
ルフェリットのその言葉は昔の知り合いを思い出させた。
彼とはまったく似ていない、美少女のようにたおやかなルフェリット。
けれど、その瞳は彼と同じように強い意思を秘めていて。
アヤネもまた、見てみたくなったのだ。ルフェリットがどうペルミの街を治めて行くのか。
それから、半年近くが過ぎた。寒い冬の間にできたことはさほど多くない。街の衛生調査と診療所の新設、そして拠点となる家と薬草園を作ること・・・・春を迎えたら、やりたいこともやらなければならないこともたくさんある。
「まあ、何とかなるでしょう」
(私にできることをするだけ・・・・どこの世界にいてもそうだわ。)
(望まず来てしまったのだから、望まなくてもいつかは向こうに戻るのでしょうね。)
(それが、いつになるのかわからないけれど・・・・)
それまで、自分にできることをしよう、と。
「センセ―」
「あら、リウどうしたの?」
女性の声がアヤネの意識をこの世界に戻す。
突如、扉からひょっこり顔を出したのは長い金髪をポニーテールにした少女・・・リューリカだった。
「あのね、ルフェリットから先生を呼んで来てくれって」
「ルーが?何かしら?」
アヤネは首をかしげ一息に香草茶を飲み干すと、手早く机の上を片付けた。
そして、上質の毛皮で作られたコートと治療の道具が入ったカバンを手に取る。
「急ぎましょう。大事な話みたいだし・・・・美味しいパイがあったのだけど、それは戻ってから食べましょうね」
ふわりと微笑むアヤネの胸に微かな不安が生まれていたが・・・・・自身でもそれに気が付かないまま。
ペルミ候ルフェリットの共としてノーザランの中央、カザンの街にて『暁の儀』を迎えることとなる・・・・・