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桃園の夢
投稿日 : 2017/07/04(Tue) 01:26
投稿者 stephanny
参照先
 ルフェリット・カッフェベルク。彼はペルミのロードである。
 彼は舞踊の家の跡取りであり、本来は戦う存在ではない。
 事実ペルミは暫くの間平和であった。彼の持つ聖印もまた、平和のうちに飾られるだけのものとなっていた。
 だが、今は乱世。時代は彼の聖印、飾りの本質である武の力を求めていく。
 そんなある夜の夢。

 ルフェリットは海の中、満開の桃の中、今はあまり求められる事のなくなった舞を踊っていた。
 優雅に、そして丁寧に。舞は何年も厳しく修行してきたものであり、舞により作られた身体は舞う事を心地よく感じていた。
 どれだけ舞ったであろうか。その時ルフェリットの前にふと、一人の初老の男が立っている事に気づく。
「貴方は…」
 面長で彫りの深い顔立ち、白髪を後ろへとまとめ、鼻下には豊かな髭。
 ペルミに関わる者であれば誰でも知っているであろう先代ペルミ公アウグストその人である。
「アウグスト様……」
「如何にも。私が先代ペルミ公アウグストである。君は美しい舞を踊るのだね。芸術には疎い私も思わず見入ってしまったよ」
 厳かな統治で知られた先代ペルミ公の評判とは裏腹に、彼はやや優しい表情でルフェリットを見る。
「改めて、初めまして。現ペルミ公ルフェリット・カッフェベルクと申します、舞踊の家より、ペルミを継がせていただきました」
「はっはは。私の後もあの風習は健在かね。私はもともと学士でね。霊感はなかったが、金に物を言わせ、道楽のように学術に励むようなろくでなしであった。
 私が領主となることを告げられたのはそう、書斎で勉学に励んでいた時の事であった。昨日のように思い出せるとも。ペルミはどうかね」
「はい。相変わらずのペルミです。大規模な混沌の海という認識の元に沈んでしまいましたが、人は逞しく地下、そして海という地上で暮らしております」
「何だね、それは是非この目で見たくもあり研究のしがいのあるテーマを抱える事になったものだ。もう少し長生き出来れば良かったな。学術どころではないかもしれんが」
 豊かな人だ。ルフェリットはそう思った。彼の元の財という富によるものか、それとも人や学問という富によるものか。いや、それらが絡み合い熟成された豊かさが彼の魅力なのだろう。
「折角こうして会う機会があったのだ。今のペルミの事を教えてくれまいか」
「はい」
 ルフェリットは微笑み、コーヒーを淹れる。ゆっくりと、丁寧に。
 濃い褐色の雫の一つ一つがポットを満たす。その間、今のペルミの事、ノーザランの事、そして信頼出来る仲間の事、ルフェリットは楽しそうに話し、アウグストは楽しそうに聞く。
「どうぞ。お口にあえばよろしいのですが」
 ルフェリットはカップをアウグストに差し出す。
「ふむ、いただこう」
 アウグストはそのカップを手に取り、静かに口をつけて舌へコーヒーを滑らせる。
 淹れたルフェリットからは想像出来ぬ野性的な香り、豊かなコク、かすかな酸味が液体の中で一つのまとまりとなり、アウグストを楽しませる。
「美味いものだ」
「ありがとうございます」
「コーヒーとは随分君は珍しい物を好むのだね。態々コーヒーを取り寄せなくとも此処には良い茶が沢山あろうに」
「家のルーツが、南の方でして。ほら、僕の家の名はコーヒーの木、と」
「なるほど、その服もそちら側から入ってきたということか。そしてその刺激。なるほど、人の永遠に求め続ける職というだけはある。それがペルミにとは人の流れはやはり面白い。やはりもう少し長生きしたかったという欲目が現れるな」
ルフェリットもコーヒーをのみ、表情を少し緩ませつつアウグストの話を聞く。
「欲目といえば… 一つだけ私が思い残した事がある」
「なんでしょうか。奥方の事でしょうか」
「いや、あれはまた生きるのを満足してこちらに来るだろう。気にかけてくれている事はありがたいがね」
 アウグストは葉巻を咥え、ゆっくりと炙る。
「心残りというのは君のことだよ。ルフェリット」
「僕ですか?」
 意外だ、とルフェリットは思った。
「意外かね?」
「はい。会った事も…ありませんでしたし」
「君の事であり、この聖印の事でもある。君はこの聖印を上手く扱えて……いや、失礼。君の事だ立派に扱っているのであろう」
「はい。何時も、僕の刀と共に様々な危機を払ってくださいました」
「そう。私の心残りというのはね、だからこそなのだよ。君はこの聖印を上手く扱っている。此処に私の心残りがある」
「ふむ、上手く扱えているからこそ……」
「続きはコーヒーと葉巻を堪能した後としよう。美味いものはしっかりと、いただかなくてはな」
ルフェリットはコーヒーの水面に移る己の顔を少し覗き込み、少し考える。
「気になるかね?」
「はい」
「ではコーヒーをしっかりと堪能しよう。お互いに」
 少し表情の晴れぬルフェリットを眺め、楽しそうに眺めながらアウグストはコーヒーと葉巻を味わい、楽しむ。
 ルフェリットは心に浮かぶ疑問を払うように、静かに呼吸を整え、ルフェリットもまたコーヒーと向き合い、やはり良いものだと楽しむ。
 少しばかり静寂の時が経ち、やがて二人のカップが空となる。
 アウグストは最後の一口をルフェリットが飲み終え、一息ついたのを見ると、再び言葉を紡ぐ。
「ごちそうさま。とても良いものを楽しませてもらったよ」
「それは何よりでした」
コーヒーの興奮作用故か、心が温まっている事を二人は感じている。
「さて、これからは君の話だ。ルフェリット。君の話をしよう」
「僕の、話」
「そう。これが私の最後の心残りだ。付き合ってくれるね?」
「はい」
「では武器を構えてくれたまえ」
 ルフェリットは青龍偃月刀を後ろに構え、そしてアウグストは大剣を八相に構える。
「うむ。よい構えをしている。隙無く、そして移ろいやすい、攻撃もその隙とともに、かね。どれ、一つ打ち込んできてもらおう。この身体だ。遠慮することはない」
「では、遠慮無く!」
 ルフェリットが一歩間合いを外すと共に頭上で刀を回す。切っ先が舞うように大きく、その力と軌道を増幅するように柄を長く持ち替えながらアウグストへと重い一撃を放つ。
「むん!」
 アウグストはその一撃へ踏み込んで、大剣を合わせる。力の集約点に自らの力の集約点合わせ、それを力強く受け止めようとする。
 ぎぃん、と鈍い音が響き、そして、ルフェリットの力がアウグストによって止められる。
「とても合理的で、身体と剣を見事に一致させた動きだ。これで薙ぐのであればそうは止められぬな。此処のこの身体でなければこうして止める事はできなかっただろう」
 ルフェリットは強敵へと斬りかかったようだと思った。今のノーザランの一線で戦っているものへは少し及ばぬ自分の刀。
 それを受け入れたからこそ、ルーラーとしての道も歩んでいるとも言える。
「そして今の君の聖印はルーラーでもある。君らしい判断だ」
「いえ。僕の力では、幾らそれを拡大する粛清の印があってもまだ、及ばず……」
「なに、それは悪いことではない、ルフェリット。君は適応しようととても頑張った。
そして君はまだ己を知れていないだけだ。重い武器で薙ぐやり方は私の時代であればほぼ大勢をつける事が出来るものだっただろう。時代が変わった。私がこの身体で君の剣を受け止める事ができたように」
 アウグストは目を輝かせ、まっすぐにルフェリットを見つめ、言葉を繋げる。
「そして…これからの時代は君の、ルフェリットの時代となった。ペルミの子よ。君が時代を、君自身の力で作っても良いのだ。誰に合わせることもなく。それを受け入れる事もまた、子へのペルミの祝福だ。私は君の真の力を教えよう。君が知っている、君がまだ知らない君自身の事を。これが私の最後の、どうしても叶えたい心残り。私の最後の夢だ。これを受け取ってくれ。アカデミーにはきっとあるだろう」
 白と黒の鉄の塊がアウグストの手にある。ルフェリットは自らのルーツにあるこの意匠を知っている。
「陰陽……舞い、静寂、喜び、哀しみ、生、死それら全ての果てにある調和……」
「そうだろうとも。君ならばきっと知っている。この2つにある全ての意味を。さぁ、受け取ってくれ。これが私の最後の、研究の成果。君という学問の果て。ペルミの子、ルフェリット・カッフェベルクよ。さぁ」
 アウグストの手からその塊を受け取る。するとルフェリットの力が剣の磁力を分かち、2つの短剣へと別れる。白と黒。陰と陽。二つの力が、ルフェリットの手に収まる。
「陰陽の短剣、いや、ペルミの短剣。いや!ルフェリットの短剣!」
「これが、僕の手にする力……」
 軽い。何よりも軽い。そしてその剣が、身体を無意識に舞わせる。
「わかる……これだ、僕の力、そして僕自身だ。僕のもの、全てを使える……」
「そうだろう。幾つになっても、自分の学問が正しかったと証明される瞬間はなんと気持ちいい事だろう。証明のついでに更に」
「わかりますとも」
 穏やかに、静かに舞う。その一差しは全てを包み、表すように柔らかく、そして野性的でもある。その舞いに剣の軌跡が白と黒として、桃の木に包まれた空間に流れる。
 時は止まり、そして舞いを含めた空間が在る。
 舞い終わるとルフェリットは晴れやかな表情をし、それを眺めるアウグストもまた穏やかである。
「ありがとうございます、アウグスト様」
「うむ。私もこれで心残り無く行ける。いや…」
「僕は今、アウグスト様への一つの夢を持ちました。それを今、叶えていただいてもよろしいでしょうか」
「なんだね?」
 子供に褒美をやるようなアウグストの微笑み。それにつられてルフェリットの言葉が溢れる。
「父と呼ぶことをお許しください。僕は父が居ません。そして今、アウグスト様と話していて浮かんだ願い。それがアウグスト様を父と呼ぶ事です」
「私も子はおらん。ペルミが全ての子だと思っておった。そして今もそう思っておる。だが、このように一人の子を今になって授かるのも、良いものだな……」
「父上」
「なんだね」
「子は、ペルミの子は、これよりペルミの親となり、この剣とともに生きていきます」
「そうか。任せたぞ、我が子よ」
「はいっ」
 ルフェリットは涙をこぼしながら答える。感極まって、溢れる涙もまた、ペルミの表れであろう。
「では……私は心置きなく去ろう。あぁ……いい夢を見た。いい夢を叶えた。私の命は有意義なものであった。それが……死後出来た我が子によって証明されるとは」
 アウグストも晴れやかながら、涙を堪える。
「それでは……さようなら、父上」
「あぁ、聖印より見守っているとも。あれには、私は心残りもなくなったから、満足するまで生きなさいと伝えておいてくれ」
「はいっ。それでは」
「では、な」

ルフェリットは目を覚まし、爽やかな朝を迎える。涙の後を拭い、身支度をし、化粧をして、黄金の兎商会へと向かう。
一つの夢は終わり、一つのペルミの子の新しい一日が、夢が始まる。
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